InvestorHaku’s stock analysis

中国株市場の情報提供

歴史的経験を生かせ!(前編)

皆さん、こんにちは!中国株投資をしているハクです。


沢山の人は言います、株市場には似たような循環があると。何事の歴史事件の発生はすべて偶然ではありません、必ずも何らかの刺激ファクターがあるから値上がりしたり、何かの影響で値下がります。でも、その市場に影響をもたらしたファクターを理解し分析出来たら、それは次回の成功に導くと確信しています。そして、学んだ経験を今の市場に生かす事がとても大事だと思います。


中国の株は非常に敏感で、常に国家の方針に沿って進んでいます。ですので、国策、経済環境、国際関係、各企業の情報を詳しく知る事によって、未来で値上がりする株を探します。例えば、最近は5G、AI、ブロックチェイン、ものインターネットなどの概念がとても熱いです、そして国家方針としてインターネットの発展に力を添えています、そしてファーウェイが世界で初めての5Gスマートフォンをリリースしたと同時に5Gなどに関する株「東方通信 600776」などが急上昇し、連続何日毎日10%の値上がりを繰り返し、ある人は資産を倍に増やすなどに成功しました、僕もまた分析のおかげで30%ほどの利益を1週間でこなすことができました。ですので、常に国の方針、発生した色々なイベントなどを把握した上で、より効率的な予測ができると思います。

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そして、今回は中国株市場の歴史変動及びその変動に関するイベントなどをまとめてみました。歴史事件を了解ご少しでも中国市場に理解を持てたら幸いです。本来は長い文章で述べられていましたが、皆さんのお時間の節約のために短くまとめました。

 

                                                         株市場の誕生

1978年に、党の第11回中央委員会の第3回総会は経済建設が中心である事として、中国は改革と開放の新たな旅を歩み始めたのです。

 

1980年代、中国の改革と開放は始まったばかりで、党と国民は進歩を遂げる決心をした。改革と開放の波と共に、この活気に満ちた国はすぐにたくさんの新しい事業で満たされ始めた。資本市場などのアイデアを含め、世界中の思考や文化もまた中国に入り込み始めたのです。よれと同時に、一つ一つの種類の流行の思考に対応する政治的リスクを常に対処する準備を整える必要があるのです。

 

1984年、中国人民銀行大学院の23人の大学院生が「中国の金融改革戦略の探査概要」と題する記事を書きました。中国で証券市場を確立するという概念が初めて導入されたとき、当時の株式ブームが直接起こりました。この記事は、中国の金融市場の「ブルーブック」としても知られており、中国の金融改革の歴史において象徴的な意味を持っています。

 

1984年7月、上海は現地の規制である「株式発行に関する暫定規定」を公布しました。

 

1984年11月18日、中国初の公募株である「飛楽音響」は、1万株(1株当たり50元)を上場しました。

 

1986年9月26日、中国商工銀行上海支店信託投資会社(1984年に静安支店が「飛楽音響」株を発行)が取引カウンターを開設しました - 中国初の証券取引部門である静安証券事業部がその時誕生しました。株式取引を生成したのです。

 

1990年11月20日、同年12月19日に上海証券取引所が設立され、正式に開設されました。上海総合指数は、一般に「上海指数」として知られています。

 

1991年7月3日、深セン証券取引所が正式にオープンしました。

 

2つの主要取引所が正式にオープンしたことで、中国の株式市場が本格的に成立されたのです。

 

                                                                  1990-1994
最初の「牛市*1:1990年12月19日から1992年5月26日

 

上海証券取引所が正式に開設された後、上場株式は8つしかなく、それらは「旧8株式」と呼ばれていました。当時の株価は1%でストップ(後に0.5%)となっており、株価指数は96.05ポイントから2年半ぶりに上昇し、最終的には1429ポイントの最高値を付けました。

 

価格制限の解除:1992年5月21日、上海証券取引所は上場株式15株のみの価格制限を解除し、「T + 0」取引規則を実行して株式市場を急上昇させました。終値では、617ポイントがより高く開き、1日以内に105%増の1266ポイントで閉じました。

 

最初の「熊市*2:1992年5月26日から1992年11月17日

 

衝動の後、市場は値を返し始めました未成熟の株式市場はわずか半年で、株価指数は1429ポイントから386ポイントへと73%下がりましたが、そのような下落は今は想像できません。投機的な熱意は高まり、投資家は当然そのような大きな低下を受け入れました。

 

8.10事件は大きく下落した。1992年8月10日、深圳は1992年の宝くじ購読宝くじテーブルを発売し、宝くじテーブルに値段を付けようと何百万人もの人々が参加した。全国の "8.10暴風雨"、次の3日間、上海の株式市場は最初の狂気の影響を受けかので、上海のインデックスは3日間で400ポイント以上下落した。また、株式市場の影響が拡大し続けていることを示しただけでなく、中国の投資家は飢えて渇いていて感覚を失っていることも示しました。その2か月後、1992年10月に国務院の証券委員会が設立されました。中国本土で最高の証券管理機関になり、これはまた、「新株効果」の最初の「光沢のある」デビューです。

 

今日はここまでとして、次回は1994年後の株式市場の歴史を紹介したいと思います。

 

今回も読んでくれてありがとうございました!

*1:強気相場

*2:弱気相場